その後
続きです。最初に言っておきますが悪い子は沢山しましたが新聞配達、朝練、放課後の練習は真剣真面目にしていましたし全国大会も出場していますし社会人に真面目になった時も全国にも出場しています。入賞もしています。
余り詳しく説明すると誰だかかわるので詳しくは言いませんが…すいません。
小学生の時に義母に手を出してからは本当にもう義母の記憶はありません。
本当に食べ物にしろ何にしろ食べる場所も違い一人暮らしで皆んなと違う食べ物を食べていました。
包丁を持ち殺してやると叫び追い回され捕まったら死ねと少しですが刺されました。
色んな事でイジメられ誰にも相談なんかせずに子供だからわからなかったのでしょうね。
ただ何で俺だけと思って来ました。
それから中学二年生に一人暮らしになるまでの義母の記憶は本当にありません。
ただ理不尽な理由でイジメられ理由もわからなく差別され自分の居場所も無くなり家出もしましたが探される事も無く結局帰る。
食べ物も無く義弟や義妹は美味しいな物を食べているのに自分には無い。
食べたいけど食べられないので小学二年生から万引きを初めて食べていました。
その後は万引き以上な事をする様になるのですが中学二年生までは家族で暮して居ました。
小学生の頃は四年生で初めてクラスのガキ大将的な子と喧嘩してから変わり次は学年のガキ大将的なイジメっ子と喧嘩をし始め今まで真面目である程度成績も良く来ていた自分はいなくなりました。
毎日が喧嘩でした。
しかし私の住んでいる地域は結構悪く子供も大人もと言う地域でした。
そこで市内の中にも悪い地域とそうでも無い地域があり私はそうでも無い地域に住んでいました。
私が小学校で喧嘩をすると悪い地域の子は後ろ盾がり私には何も無く中学二年生に呼び出され袋叩きに合いました。何度もありました。
それでも喧嘩をやめる事はしませんでした。
そして小学校を卒業し中学校へ入学した入学式の日に入学式後に上の学年達に呼び出されまた袋叩きにあい同級生の友人も呼び出され私は肋骨2本折れ友人は肋骨すべてヒビが入り他の子は刺されていました。
それが私の中学生活のな始まりでした。
私より酷い方は必ずおられると思います。
でも今悩んでいる子がいれば私は自分を変えないと何も変わらない。
変えれない子もいると思います。
でもそれなりの犠牲は必ず付いて来ます。
犠牲を恐れる事無くとは難しいかも知れませんがまた興味があれば読んで下さい。
相談にもなります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。